20040405句(前日までの二句を含む)

April 0542004

 入学す戦後飢餓の日生れし子

                           上野 泰

語は「入学」。戦後八年目四月の句だから、入学した子はまさに「飢餓の日」に生まれている。たいへんな食糧難の日々だった。母親の体力は消耗していたろうし、粉ミルクなども満足に手に入らなかったろうし、その他種々の悪条件のなかでの子育てはさぞかし大変なことだったろう。そんな苦労を重ねて育てた子が、今日晴れて入学式を迎えたのだ。作者の父親としての喜びが、じわりと伝わってくる。同じ日の句に「一本の前歯がぬけて入学す」もあり、ユーモラスな図でありながら、前歯がぬけかわるまでに成長したことを喜ぶ親心がしんみりと滲んでいる。ひとり作者にかぎらず、これらは当時の親すべてに共通して当てはまる感慨だ。共通するといえば、どんなに時代が変わっても、とりわけて第一子が入学するときの親の気持ちには、子供が生まれたころの日々の暮らしのことがおのずから想起されるものである。なにせ当たり前のことながら新米の親だったわけだから、赤ん坊についてはわからないことだらけ。ちょっと様子が変だと思うと、育児の本だとか家庭医学書などのページを繰ったりして、ああでもないこうでもあろうかと苦労させられた。加えて、これからの暮らし向きの心配もいろいろとあった。それが、とにもかくにも入学の日を迎えたのだ。やっと人生のスタートラインに立ったにすぎないのだけれど、親にしてみれば何か大きな事業をなしとげたような気にすらなるものなのだ。今年もそんな親たちの感慨を背景にして、全国でたくさんの一年生が誕生する。この子たちの人生に幸多かれと、素直に祈らずにはいられない。『春潮』(1955)所収。(清水哲男)




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